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ペルーの文化を愛する窓屋の社長 高橋俊生

千葉県の習志野でお家やビルの窓を販売しています。(MADOショップ 習志野マラソン道路店) 住みやすいお家作りには窓選びも重要です。窓に関する事、趣味のことを書いていきます。(野球、高校サッカー、ペルー文化、トレーニング)

僕がペルーをこよなく愛する理由

こんばんは。
ペルーの文化を愛する窓屋の社長、高橋です。

11月15日(現地時間)に行われた<W杯南米予選第12戦:ペルーvsブラジル>は、ペルーの首都リマで行われました。
ホームでの試合。 ここで勝てれば、上位へ食い込むこともまだ可能だっただけに昨日の敗戦は痛かったし、悔しい!の一言でした。とはいえ、まだ諦めません。
次節は来年の3月にベネズエラとの対戦があります。この試合はアウェイですが、予選を勝ち抜くには絶対に負けてはいけない試合です。期待したいと思います。

僕がペルーという国を知るきっかけとなったのは、ペルー人の少年との出会いから

今回のW杯南米予選第12戦の開催地が「ペルーの首都リマ」だったことでふと、自分のこのペルーに対する気持ちが起こった発端となったある友人のことを思い出しました。

その友人の名はFranco Higa Shimbo (フランコ ヒガ シンボー)。
リマ在住の日系ペルー人です。

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日本から遠く離れたリマ在住の彼と出会うこととなったのは、26年前の1991年に彼が日本にホームスティに来たことから始まります。

僕の父親の知り合いがホストファミリーだったんですけど、その家には同じ年頃の子供がいなかったんです。僕は当時大学生で、フランコと年齢が近いということ、ホストファミリーのご近所だということで日本を案内することになりました。
たまたま春休みということもあり、時間もあったし暇だったんで(笑)じゃあということで、いろんなところに遊びに行きました。

遊んでいる間とにかく全てにおいてフィーリングが合うことが多く、意気投合するようになりました。 文化が違う国に来ると一番困るのが食文化の違いや、味覚の違いなんですが、フランコは日本食に対し何でも美味しいと食べてくれて、食べ物に関してはまったく困らなかったです。唯一、イカの刺身だけは「チューインガムみたいだ」と言ってお気に召さなかったようです。

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僕から見たフランコは、当時の郷ひろみ(Hiromi Go)に少し似ていたんです。フランコ郷ひろみの写真を見せて似てるだろって言ったら、少し苦笑いでした。もしかしたらビジュアル感覚はちょっとズレていたかもしれませんね(笑)

フランコは僕と一緒でサッカーが大好きで、さらには音楽の趣味もぴったり!当時僕が聞いていた「TMネットワーク」「B’z」などを勧めたらすごく気に入ってくれて、そんなに気に入ったのならということでCDをあげました。逆にフランコが海外の音楽を紹介してくれると、僕はそれをすっかり気に入ってしまい、CDを探しにタワーレコードへ行ったほどでした。

サッカー談義も熱が入ります。お互いの国にはこんなスゴイ選手がいるんだと、話が始まると止まるところが見つからないほどでした。

約1ヶ月、フランコが日本滞在している間、お互いの文化、お互いの国のことをたくさん話しました。そしてペルーという国から来たフランコと一緒に行動するなかで、初めて外国、ペルーという国に興味を持つようになったんです。

そして、フランコがペルーへ帰国する日。 彼は僕にペルーに遊びに来てと言ってくれたんです。この時はまだペルーへ行くぞと思うよりも、もう一度フランコに会いたい!そう強く思いました。

フランコというペルー人を通じて、ペルーに行ってみたくなった!

フランコが帰国した後も、手紙でお互いの日常の事や趣味の音楽、スポーツの事などをやり取りしたり、たまに電話をするなどしてずっと交流が続きました。
交流すればするほど、ペルーに行ってみたい!という気持ちが膨らんできます。翌年の1992年の春休みにペルーに行こうと計画をたて、その為にバイトをして旅の資金を稼ぎました。

でも、結局初めてのペルーへの旅費は父親が出してくれることとなって、成田空港からVARIG(ブラジル航空)でアメリカのロス経由でペルーの首都リマへ向かいました。
この初めての旅は贅沢な体験をさせてもらったんです。
というのも、父親が知り合いの旅行会社にチケットを頼んだのですが、その担当の方は僕の父親が行くと思ったらしく、ファーストクラスをとってくれてしまったんです。僕は当然驚きましたが、父親もびっくり!そんな事があって最初で最後の贅沢な飛行機での旅でした(笑)

成田空港を夕方に経ち、日付変更線を越えて約22時間後の翌日の夜中にペルーの玄関口、首都リマにあるホルヘチャベス国際空港に到着。
まずビックリしたのは、平日の真夜中にも関わらず、人が多いこと。誰か芸能人でも来るのかというくらい、人、人、人で溢れかえっていました。その人が溢れかえっているなか、フランコの姿を見つけました!

フランコと1年ぶりの再会!

再会したときには、今のSNSと同じ感覚かもしれないけど、1年間手紙のやり取りをしていたし、電話もしていたので、久しぶりという感覚は特に感じませんでした。
でも、リアルに会えるのはやっぱり嬉しいものです。

初めてのペルー滞在でのアクシデント

フランコと再会し、これから約2週間のペルーでの生活が始まる。不安もなく、楽しみしかなかったのを昨日のように覚えています。

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日系人の家族ということもあり、食べ物に関してはほぼ問題ありませんでした。

日本のお米とは違ったタイプですが、主食はお米。ペルー料理によく合うのと、比較的日本のお米に近いせいかすぐ馴染めました。
思っていた以上に食事が自分の口にあったので、調子に乗って食べていたら、ペルー滞在2日目にして腹を壊して、夜通しベットとトイレを往き来する羽目になってしまったんです。

ペルーのトイレは、トイレットペーパーを日本みたいに便器に流せないんです。便器の横に置いてある専用の容器にいれないといけないんですよね。なのにそれを知らなくて、トイレにいくたびにトイレットペーパーを捨てていたら便器詰まってしまい、流れなくなって…腹は痛いし、流れないしで、1階のトイレを使っていたけど使えなくなってしまったから、今度は2階のトイレへの往復を繰り返していました。

そんなこんなしていたら、鳥の鳴き声がして…気がついたら朝。その後は疲れが出たのか熱も出てしまい、完全にダウン状態だったんです。
フランコのお父さん、お母さんが心配してくれて、病院の先生に診てもらった方が良いということで、同じ地区のお医者さんに連れて行ってくれました。

そのお医者さんはドクトル サトーという、日系人のお医者さんで日本語も話せたから、症状を伝えるのもとてもスムーズで、診てもらって薬を飲んだらすぐに回復しました! 海外で具合が悪くなったときのリスクは症状を的確に伝えられないことがあるのですが、 日本語を話せたことで症状が的確に伝えられ、リラックスできたのもあって回復につながったのだと思います。

こんな状況もあってなのか、みんなの優しさにとても感動しました。

そして、ペルーの人々の暖かさに触れて、ペルーという国、文化が大好きになったんです。

ペルーでお世話になったから恩返しをしていきたい。

あれから24年経ちました。
その間に僕は8回ペルーに行っています。

8回も行って飽きないのか?と聞かれますが、行くたびに新たな発見があったり、サッカーを楽しんだり。とにかく何度行っても飽きることはありません。

ペルー国の発展も感じることができて、素晴らしい経験をさせてもらいました。 そして、毎回宿泊させてもらっているのはペルーの友人、フランコの家です。

フランコは6人兄弟なのですが、一人の弟は不慮の事故で亡くなってしまっていて、一人の妹はカナダに嫁に行ってしまって、現在は4人の兄弟と両親とで生活しています。

僕は毎回とてもお世話になっていて、フランコ家族を全員日本に招待したいと思っています。一度に全員は難しいのですが、いままでフランコ家族のうち4人を日本に招待することができました。
フランコのお父さん、お母さんは日系人で、おじいちゃん、おばあちゃんは沖縄の人なんですって。なので、ここ2、3年のうちに絶対に沖縄に連れて行ってあげたいなと思ってます。

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そして、今後僕が考えるのは、在日ペルー人の日本での暮らしに対するお手伝いをしていきたいということ。
ボクの地元である千葉県八千代市は日系ペルー人が多く住む街です。ボクは窓屋の社長をやっていますので、暮らしに欠かせない窓の仕事で八千代市を中心とした、地元の日系ペルー人のお手伝いをしたいと考えています。

日本の文化とペルーの文化は当然違ってきます。

そして、暮らしに対する悩みをどこに問い合わせていいのか、日本の暮らしに対応するためにどんなことをしていけばいいのか。細かいことを言っていけば、わからないことばかりなんです。わからないままでいると、とても暮らしにくいですよね。
せっかく日本にいるのだから、日本をしっかり楽しめるような住まいづくりをしてほしいんです。

ペルーを愛する窓屋の仕事がペルーと日本をつなぐ役目になれたらと思います!