ペルーの文化を愛する窓屋の社長 高橋俊生

千葉県の習志野でお家やビルの窓を販売しています。(MADOショップ 習志野マラソン道路店) 住みやすいお家作りには窓選びも重要です。窓に関する事、趣味のことを書いていきます。(野球、高校サッカー、ペルー文化、トレーニング)

先代社長の命日を迎えて毎年思うこと!

こんばんは!

千葉県習志野市のサッシ屋・総和の高橋です!

 

10月21日はボクの父親であり、先代社長の命日です。

もちろん命日の10月21日は毎年訪れます。

 

 先代社長の命日に毎年思うこと!

 

ボクは大学卒業後、94年から99年までの5年間をサッシメーカーのYKKAPさんにお世話

になりました。

ちょうど、その頃、ウチの会社、総和の経営状況はよくありませんでした。

バブル崩壊後、あちこちで倒産したゼネコンの煽りを受け、かなりの負債を抱えていま

した。

 

当時、APさんを辞めて、総和に帰る理由はここにありました。

『今、大変な時期だけど、総和に戻って会社を立て直せと。戻って頑張れ。』

と当時の社長に言われたんです。

当時は総和というのはビルサッシ建材しか扱っていなかったので、住宅サッシもやった

方がいいというアドバイスをもらって、戻るのは今しかないのかなと思って、総和に戻

ることにしました。

 

戻ったはいいけど、もちろん不安だらけ。

業績は当時、かなり悪かったので、戻ってきたはいいけど、この先どうなるんだろうと

毎日、考えていたのを覚えています。

 

そんな中、住宅サッシ建材の事業部をたちあげるべく、営業活動を始めました。

当時、もちろん、住宅サッシを扱うお客さんはゼロでしたので、まさにゼロからのスタ

ートでしたね。

もちろん、1日も早く実績を作らないと、売り上げをあげないと、お客さんを獲得しな

いとってなことを毎日、考えながら、集中しながら、必死でやっていましたが、今、考

えると、それを後ろ盾してくれた先代がいなければ、たぶん、できなかったと思いま

す。

後ろ盾してくれた先代がいたからこそ、思い切ってできたし、ある程度、ゆとりを持っ

て営業活動できたんだと思います。

先代は、ボクに対しては、

『住宅サッシのことに関しては好きなようにやれ。』

といってくれたので、ある意味、楽にできたけど、とはいえ、早く実績を作らなきゃと

いう思いももちろん強かったです。

もし、あの時、代表という立場であって、あの会社状況であったら、精神的に参って、

できなかったでしょうね。

それくらい、今考えると、先代の存在は大きかったです。

 

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先代は会社がよくない状況でも、少なくとも周りにはそんなそぶりも見せなかったです

し、そういったところが安心感に繋がっていたのかもしれません。

 

当時、協力してくれた人がいるからこそ、今の総和がある!

 

それと当時、YKKAPさんは総和に対して、ウチの会社で制作できる製品のほとんどを発

注してくれていました。

自社の工場で制作できるものをわざわざウチの会社に発注してくれていたんです。

間違いなく、自社で完結した方がコストも安いし、手間もかからないし、余計な労力も

かからず済んだはずなんです。

でも、ウチの会社のためにわざわざ発注してくれていたんです。

他にもたくさん協力してくれたことはありました。

こういう協力なくしては、今の総和は間違いなくありません。

 

亡くなる前月に、当時抱えていた負債を完済して、これでホッとしたということを周り

の人たちに話をしていたそうです。

その安心感からなのか、その翌月に急に倒れて亡くなったわけですが、毎年、この命日

がくると、当時、YKKAPさんがいろんな意味で協力してくれて、励ましてくれたおか

げで、今の総和があるんだということを改めて感じます。

 

その感謝の気持ちを忘れずにこれからも頑張っていきます!

そんなことを思った命日でした!

 

それでは、また〜!