ペルーの文化を愛する窓屋の社長 高橋俊生

千葉県の習志野でお家やビルの窓を販売しています。(MADOショップ 習志野マラソン道路店) 住みやすいお家作りには窓選びも重要です。窓に関する事、趣味のことを書いていきます。(野球、高校サッカー、ペルー文化、トレーニング)

ペルーには8回で、同じ南米のエクアドルにも1回行ったことがあるんです!エクアドルではホームシックにかかってしまった!

こんにちは!

千葉県習志野市のサッシや、総和の高橋です!

 

 

さて、昨日、まさかの朗報が!

ロシアW杯ペルー代表のエース・ゲレーロ選手が一転して出場が可能だというビックニュースが入ってきました。まさかですね!もちろん、嬉しいですよ!でも、この出場できた裏には、同じCグループで戦う、デンマーク、フランス、オーストラリア、また、同じ南米のライバルである、ウルグアイスアレス選手がゲレーロ選手が出場できるように後押ししてくれたんですよね。その影響も間違いなくあると思うんですよね。対戦国からすれば、相手のエースがいない方が有利に戦えるにも関わらず、なんとか出場させてあげたいと、手を差し伸べてくれたわけです。もう、そりゃ、感謝、感謝ですよね!これで、ますますロシアW杯が楽しみになってきました。旋風を巻き起こしてくれるでしょうね〜!

 

同じ南米のエクアドルでホームシックにかかってしまった!

 

さて、ボクはペルーのことをよく書きますが、南米でペルー以外に行ったことがある国がもう一つあります。それはペルーの北部と国境を接しているエクアドルです。ペルーの8回に対して、エクアドルは1回です。エクアドルでは少し苦い思い出があったんです。それは、ホームシックってヤツです(笑)そのことを書いてみたいと思います。

 

エクアドルに行ったのは、1992年。最初、ペルーへ、次、エクアドル、最後が米国のマイアミへ訪問する計画でした。ペルーはもちろんのこと、エクアドルにも日本で知り合った友達がいました。なので、エクアドルにも行けることになったわけです。最初にペルーへ行ったわけなんですけど、この頃は、ペルー国内はゲリラが多発していて、治安も国内経済もすごく悪かったときです。初めてのペルーということと、そんな背景があったので、やっぱり多少の不安はありました。でも、行ってみたら、とにかく、友達家族は最高だし、ペルーの食事も問題ない、ペルーのサッカーも熱狂的で面白い、本当に不自由がなかったんです。ペルーの母国語はスペイン語ですが、友達は英語が堪能でしたので、英語で会話をしていました。ボクも大学生の時には英語を独学で勉強していたので、カタコトで会話するくらいであれば問題ありませんでした。

 

そんな楽しいペルーでの滞在も終えて、エクアドルに移動したわけなんですけど、ここで、初めてホームシックにかかってしまったんです。

 

エクアドル第二の都市 グアヤキル 友達のパトリシアと!

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一番の問題は言葉でした。言葉が通じなかいのがこんなに辛いのかと思い知らされました。友達は英語を話すのですが、姉妹、ご両親はスペイン語オンリーということもあって、なかなかうまく意思の疎通ができなかったんですよね。この時、初めて孤独感を感じました(笑)それでも、エクアドルでもいろんなところへ連れて行ってもらったし、もう二度とできないだろうという経験もさせてもらったし、今、考えれば、楽しいことはたくさんあったんです。でも、当時は楽しめなかったんですよね。

 

エクアドルグアヤキルにて!

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どうしても意思の疎通がうまくできなかったのと、ペルーでの生活があまりにも楽しすぎたので、どうしても比較してしまったところもありました。本当に初めてのペルーは最高でしたから。この時の計画ではエクアドルの後に米国のマイアミへ行く予定にしていたのですが、なんと、もう一度、ペルーへ戻ったのです(笑)このまま、米国へ行って旅を終えると、この旅自体がつまらないものになってしまうので、ペルーへ再度戻ることを決めたんです。ペルーの家族はもうビックリですよね(笑)

 

そんなホームシックをエクアドルで経験したわけですけど、今、考えればすごく良い経験、良い思い出です。それと、ボクはエクアドルという国がつまらなかったと言っているわけではないのです。地理の勉強で出てくるアンデス山脈の山々を車で超えて行くことができたし、赤道直下の首都キトで北半球と南半球を両足でまたいだ面白い経験もさせてもらいました。

 

エクアドルの首都キト 座っているところの溝を挟んで、北半球と南半球!

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だから、エクアドルも素晴らしいところだったということに変わりはありません。お世話になった友達家族もうまくコミュニケーションが取れなかったとはいえ、ボクに対して、エクアドルを楽しんでもらいたいという気持ちは十分伝わってきたし、すごく良い経験をさせてもらったと思っています。

 

いつかエクアドルにももう一度行ってみたいと思っています。

 

今回は以上です!!!