ペルーの文化を愛する窓屋の社長 高橋俊生

千葉県の習志野でお家やビルの窓を販売しています。(MADOショップ 習志野マラソン道路店) 住みやすいお家作りには窓選びも重要です。窓に関する事、趣味のことを書いていきます。(野球、高校サッカー、ペルー文化、トレーニング)

いつまでもその感謝の気持ちは忘れません!

こんばんは!

千葉県習志野市のサッシや総和の高橋です。

 

昨日、今日の2日間で富山、石川と出張に行ってきました。最初で最後になると思うけど、新幹線のグランクラスに乗りました。いやー、贅沢すぎましたね(笑)2時間少しのために。本当に快適でした。そのことは、また別で書きたいと思います。

 

北陸新幹線富山駅

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富山といえば、普段、僕たちが扱っているYKKAPさんのサッシ。その大きな制作工場が富山にはあります。新幹線から景色を見ながら、ふと、あることを思い出していました。

 

その人には感謝しても、感謝しきれません!

 

1990年代、ウチの会社は大変な状況を迎えていました。世間一般的には、しばらく続いたバブル時代の終焉。当時、取引させてもらっていたゼネコンさん、工務店さんも業績不振から多くが倒産。当然、不良債権を抱えることになります。トータルでは億単位。一番大きな焦げ付きは一つの現場で約6千万。そんな状況だったので、本当に窮地に立たされていました。

 

そこから会社の経営も苦しくなってきたわけです。ボク自身は当時、お世話になっていた、YKKAPさんを退社して、実家の戻ってきて総和に入社しました。まぁ、戻ったのは良いけど、自分が思っていた以上に、状況が悪かったので、この先どうなるんだろうと。毎日、夜になると、そんなことばかりを考えていました。

 

そんな窮地に陥っていたウチの会社を、当時の千葉の社長は見捨てませんでした。その当時、ビル用サッシ製品や網戸を制作していたこともあって、総和で制作できる製品に関しては、そのほとんどをウチの会社に発注してくれたのです。

自社の工場に手配した方がコストは安いし、余計な手間も、労力もかからなかったはずなんです。それでも、わざわざ総和を助けるために発注してくれたのです。他にも協力してくれたことは多々ありました。

 

『協力しますよ』って言ってくれる人はたくさんいたけど、実際に支援してくれたのは、その当時の千葉の社長だけでした。どれだけ、お客さんの方にベクトルが向いている人なんだろう。どれだけウチの会社のことを思ってくれたいたんだろう。当時、先代社長も、うるさいことは言うけど、有言実行はこの人だけだと。それくらいすごい方でした。

 

そんなことがあっての今なのです。その時の支援がなければ、間違いなく、今、総和という会社はないと思います。だからこそ、その人に対しては、頭が上がらないし、その感謝の気持ちはいつまでも忘れません。

 

▼帰りは新高岡駅から!

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今日は以上です!!!