部活の時と違って、草野球では、楽しみながらも、上手くなりたいと、一生懸命練習をしました!
こんばんは!
相当な野球好きの高橋です。笑
昨日、習志野高校が春の選抜出場を決めて、未だ興奮冷めやらぬ状態です(笑)習志野高校ほど、地域に根ざした野球部ってあるのかというくらいです。それくらい市民は喜んでいるし、これぞ高校野球の理想形じゃないのかなと思わずにはいられません。このことは書くと長くなってしまうので、別で書きたいと思います。
草野球は『楽しむ』が基本だけど、やっぱり勝ちたい気持ちが強かった!
浪人時代から草野球を楽しんでいました。と言っても、本格的ではなく、何となくみんなで集まって、相手チームを探して、やるみたいなゆるいものでした。でも、そのうち、『チームを結成して、ユニフォームを作ろうよ』そんな感じになってきたんです。チーム名は僕が考えて、FUNABASHI DAGEROUS にして、ユニフォームの色とデザインも僕が独断と偏見で決めました(笑)
▼FUNABASHI DANGEROUSです!
ユニフォームの色はグレーにしたかったんですよね。グレーの方が強く見えると僕自身は思っていたので。で、文字がエンジです。習志野カラーです(笑)どんなユニフォームにしようか?どんな自体にしようか?どんなカラーにしようか?そんなことを考えている時が、一番楽しかった(笑)本当に楽しかったですね〜。
で、それからある程度、試合数も増やして、練習試合をやっていましたね。最初は、楽しくやろうよみたいな雰囲気だったけど、やっぱり根本には勝ちたいという気持ちがあって、新しいメンバーなんかも入れて少しずつ強くなっていきましたね。楽しみたいけど、上手くなりたい、勝ちたい、誰しもそんな感じになっていくんですよね。
中学の野球部時代は正直、全く野球は楽しくなかった。どうしたら、楽できるか?早く帰りたいな、そんなことばかり考えていたダメ野球部員でした(笑)顧問の先生は理不尽なことは言わなかったし、罵声を浴びせてプレッシャーをかけるみたいなことはしませんでしたね。でも、練習は厳しかったので、毎日が憂鬱でしたけどね(笑)
▼高根台中学校野球部時代です!笑
だから、上手になりたい、試合に出たい、そんなことはこれっぽっちも思わなかった(笑)でも、草野球をやり始めた時には、楽しかった上に、やっぱりもっと打ちたいっていう気持ちになるんですよね。だから、自分なりに少しだけ練習して、それで考えながら野球をやるようにはなりましたね。誰かに言われるわけじゃなくて、自分で上手くなりたいとすごく思っていましたね、当時は。
で、大学に入ってからは既存のクラブではなくて、仲間で野球チームを作って、こっちでは週一回きちんと練習をして、練習試合もたまに入れつつ、で、大会にも出ていました。この時のチームはすごく強いチームで僕以外はみんな高校野球出身組で、僕だけが唯一軟式出身で、そして、高校で帰宅部だったという(笑)
▼左から3人目です!大東文化大学時代のRevorvers(リボルバーズ)です!
でも、自慢じゃないけど、一番よく打ったし、強打で鳴らしたことだけは声を大にして言いたい。当時は、福浦二世と言われたもんです(笑)この時代が一番楽しかった。みんな高校野球出身だから、ちゃんと練習して、自分でも上達したなって感じることができた唯一の時期なので(笑)本当に野球生活充実してた。
▼浪人時代です!笑 下段の一番右です!
自らの意思で上手くなりたい、打てるようになりたい、そんな気持ちでやっていたその時期こそ、僕の野球人生、全盛期だったような気がするけど、また、そんな野球をやってみたいなと思いますね。
▼高浦選手、今シーズンの選手名鑑の写真撮影中です!笑
福浦選手は今シーズン限りでの引退を表明しましたが、私、高浦はまだまだ現役で頑張る所存でございます!笑 今年も本気出します!笑
今日は以上です!