ペルーの文化を愛する窓屋の社長 高橋俊生

千葉県の習志野でお家やビルの窓を販売しています。(MADOショップ 習志野マラソン道路店) 住みやすいお家作りには窓選びも重要です。窓に関する事、趣味のことを書いていきます。(野球、高校サッカー、ペルー文化、トレーニング)

もし今、生きていたら、『俊生、しっかりやれよ』と厳しく言われていると思う!笑

こんばんは!

千葉県習志野市のサッシや総和の高橋です。

 

 

今日、5月30日は、もし生きていれば、お父さんの74歳の誕生日でした。もう亡くなって16年が経ちます。改めて、そんなに年数が経つんだというのが正直なところです。

 

生きていたら、きっと厳しく『しっかりやれよ』と言われていると思う!

 

▼母親の実家(長野県飯田市)でのワンショット!お父さんとボクがいますね(笑)

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『55歳で引退したい』という話をしていたくらいなので、きっと、今、生きていても仕事はしていないような気がします。今頃は、孫には甘く、何でも買ってあげるデレデレなおじいちゃんをやっていたんじゃないかな(笑)僕が子供の頃には、仕事がとにかく忙しくて、日曜日もほとんど休むがなかった、そんな時代でしたが、それでも休みとなれば家族サービスでいろんなところに連れて行ってくれたし、僕たち家族にも本当に良くしてくれたと今でも思ってます。

 

▼昭和48年に習志野に移ってきてきました!

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ボクは、総和で5年間一緒に仕事をしているけど、少なくともあと5年は一緒にやりたかったと思ってます。ちょうど、その頃、かなりの不良債権を被って、会社の経営が厳しい状態で、僕自身もとにかく、当面の売り上げ確保のために目先の仕事を追いつつ、数年先のことも考えながらやっていたけど、それもこれも後ろ盾してくれるお父さんがいたからこそできたこと。もし、自分がトップとしてやっていたらヤバかったような気がする。5年間のうち特に、1、2年目が一番精神的にも厳しかったです。会社の数字的にもその2年間が一番大変だったからです。毎日、夜になると、『もし会社が倒産したらどうしよう』そんなことばかり考えていたことを思い出します。今、考えても、あの頃には絶対に戻りたくない。それくらいキツかったから。

 

▼ペルーの友達と行った横浜!

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結局、借金を完済して、その翌月に亡くなってしまったのですが、僕には直接、聞こえてきませんでしたが、周囲には、『借金を完済してホッとした』と漏らしていたみたいなので、精神的に僕なんかよりも何十倍、何百倍と厳しかったはず。今、考えると、もっと一緒に仕事をしたかったし、もし、今、一緒に仕事していたらどうだったかな?そんなことをたまに考えます。兎にも角にも、お父さんが築いてきてくれたものに、泥を塗らないように、今以上に頑張らなきゃです。

 

でも、きっと今の僕を見たら、『俊生、しっかりやれよ』と厳しく言われているような気がする。そんなことを思った、お父さんの今日の誕生日でした。