ペルーの文化を愛する窓屋の社長 高橋俊生

千葉県の習志野でお家やビルの窓を販売しています。(MADOショップ 習志野マラソン道路店) 住みやすいお家作りには窓選びも重要です。窓に関する事、趣味のことを書いていきます。(野球、高校サッカー、ペルー文化、トレーニング)

父が創業した、『総和』という会社に入社し、その後の昔の思い出が蘇った!

こんばんは!
千葉県習志野市のサッシや総和の高橋です。

 

今日は朝から現場。そこで協力業者さんに依頼している工事があって、その職人さんが来てくれていたんです。そうしたら、昔、先代のときにウチの会社の仕事をしてくれていた職人さんがいたのです。もうビックリ(笑)もちろん、ボクがまだ子供の頃でしたが、ハッキリ覚えている職人さんです。こういう人たちがいたからこそ、今の総和という会社があるんですよね。懐かしかった〜!

 

『総和』に入社した経緯、そして入社してからの苦しい思い出!

 

そんな懐かしさからか、父が創業した、『総和』という会社に入社をし、その後の思い出が蘇ってきたので、そのことを書きたいと思います。

 

ボクの会社は、父が昭和47年に習志野市で創業した会社で、アルミサッシの製作と施工で始まった会社です。元々、サッシ職人として別の会社で働いていたのですが、2年ほど経験をしてから、独立を決意したとのことでした。

 

▼レトロで、昭和を感じます!

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子供の頃は、とにかく忙しかったのか、ほとんど家にいなかったような気がします。仕事をしている姿というのはあまり見たことがなかったけど、会社にはしょっちゅう連れていってもらっていたこともあり、何となくどんな仕事をしているかはわかっていたつもりです。社長の子供ということでしょうかね?皆さんに可愛がってもらいました。笑 当時はまだ小さかったので、会社を継ぐとかいうことはもちろん全く考えていませんでしたが、成長するにつれ、少しは意識するようになってきました。

 

大学で就職活動をするようになっていよいよ意識するようになりました。僕自身は『やっぱり継がなきゃいけないんだろうな』という気持ちが強かったと思います。でも、その気持ちを父には話しませんでした。むしろ、無関心を装っていたくらいです。笑 就職活動を始めたときにでさえ、同じ業種の会社を回っていることは伏せていました。でも、情報はいろんなところから漏れてバレて、そのときはかなり怒られました(笑)

 

結局、サッシメーカーさんに、1994年(平成6年)〜1999年(平成11年)の5年間お世話になることになりました。まぁ、入社時にはいつまでとか決めていたわけではありませんでした。

 

その頃の『総和』はどうだったのかといえば、バブル崩壊後、あちこちのゼネコンが倒産したあおりをうけ、かなりの負債を抱え、すごく大変な状況でした。

 

そんなある日、父から『今週末に話があるから帰ってきてくれ』と電話が来ました。
あんまりいい話じゃないなとは思っていましたが、案の定でした。週末に家に帰ると家族会議が開かれ『もう会社を辞める』と言うんです。あまりいい話ではないなというのは想像していましたけど、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、一瞬、言葉も出ませんでした。


家族会議の前にはもう社員の人たちには辞めるということを話しをしていたそうです。会社を継ぐとか継がないとかいう以前にかなりのショックを受けたことを覚えています。

 

結局、周りの人たちに説得され、何度も話し合いを重ね、事業は継続することになりました。会社を続けることとなって一安心していたところに今度は当時の社長に呼ばれて、『今、実家はすごく厳しい状況で、大変だと思うけど、今、帰って会社を立て直すべく帰った方がいいんじゃないか』と話をしてくれました。ウチとはかなり古くからのお付き合いなので、すごく心配してくださって、色々話し合いをした結果、ボクは実家へ戻ることになりました。

 

1999年5月にメーカーさんを退社し、7月に総和に入社したのちは、新規事業を立ち上げるべく、工務店さん、ビルダーさんを紹介してもらったりして営業に回ったり、新規のお客様もかなり回りました。とにかく、最初はゼロですから、必死にやりました。

 

当時は、会社の経営状態が本当に悪かったので、できるだけ早く実績を出したいという思いで動いていましたが、今、考えてみると、当時は後ろ盾してくれる先代社長がいてくれたからこそ、営業活動ができたのだと思ってます。

 

あの当時の自分は、毎日会社が倒産したらどうしようと考えていたのですが、先代はそんなそぶりも見せませんでしたし、好きなようにやれと言ってくれたので、自分自身営業ができていたんだと思います。もし、自分が代表取締役であの時の状況だったら、おそらく同じようにはできなかったでしょう。好きなようにやれと言ってくれたからこそ、当時は結果を早く出さないとという思いで動いていました。

 

総和が大変な状況の時、今までと変わらず販売してくれた業者さんもいれば、やはり与信の問題もあって支払い条件を変えて欲しいと言ってくる業者さんもいました。どっちがいい悪いではないですが、やっぱり変わらず信頼してくれた業者さんに対しての感謝は常に忘れることはないです。協力してくれた業者さんがいたからこそ、今の総和があります。

 

▼前列でサングラスをかけて、ピースをしているのが先代です!笑

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現場で懐かしい職人さんと会って、昔の思い出が蘇ってきたので、そんなことを書いてみました。 それでは、また〜!!!