ペルーの文化を愛する窓屋の社長 高橋俊生

千葉県の習志野でお家やビルの窓を販売しています。(MADOショップ 習志野マラソン道路店) 住みやすいお家作りには窓選びも重要です。窓に関する事、趣味のことを書いていきます。(野球、高校サッカー、ペルー文化、トレーニング)

今日は生きていれば75歳の誕生日です!ボクが会社を継いだ経緯!!!

こんばんは!
千葉県習志野市のサッシや総和の高橋です。

 

二年ぶりの交流戦ですが、やはり普段、パ・リーグの試合の方が見る機会が多いので、セ・リーグとの対戦はやっぱり新鮮ですね。好調のタイガースに勝ち越して、交流戦も良いスタートが切れました。毎年、この交流戦の成績がペナントを左右しているので、この好調を維持して欲しいですね。

 

先代が設立した会社の継いだ経緯!!!

  

先代が昭和46年に千葉県習志野市で創業した会社が今の総和です。サッシ職人としてスタートしました。今日は、そんな先代の誕生日です。生きていれば、何歳だろう?笑あっ、75歳でした。

 

生きていれば、今、どうしているだろう?間違いなく、仕事はしていないだろうな。笑もともと、55歳で引退したいと話していたのでね。でも、それも途中、会社の経営状況が悪くなって、それどころではなくなってしまったけどね。子供が大好きなので、孫の面倒をよく見てくれるおじいちゃんになっていたと思います。

 

▼母の実家でのワンショットですね!笑 抱かれているのがボクです!笑

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先日、ある人から、会社を継いだ経緯のことを聞かれて、ちょうど先代の誕生日が重なったので、それを書いてみたいと思います。以前も書いたことがあるので、完全にリライトです。

 

もともと、先代は別の会社でサッシ職人として2年間働いて、そこで独立して自分でやろうと思ったみたいです。小さい頃は会社に連れていってもらっていたので、すごく会社には親しみがありました。周りの人たちにはすごく可愛がってもらいましたから。笑 

 

そんなボクも進学を考えるような歳になるころには、自然とお父さんの跡を継ぐということを考えるようになりました。というよりも継がなきゃいけないのかなと。お父さんは本心はどうだったかわかりませんが、『継がなくて良いから』とずっと言っていました。

 

就職活動のときにも、将来どうするとかいうような話も全くしなかったのですが、サッシメーカーに就職活動をしているときに、面接で、『お父さんの職業は?』と聞かれたんです。そうしたら、嘘をつくわけにはいかないですよね。笑 そうしたら、お父さんにサッシメーカーを就職活動してたのがバレてしまって、相当怒られました。笑 別に隠すつもりはなかったけど、『それなら、それで最初から言えと。笑』

 

そんなこんなでサッシメーカーに就職することになりました。入社は1994年でした。時代はちょうどバブルが弾けて景気が下降気味の時代でしたね。

 

その頃、会社は本当に大変で、バブル崩壊の影響で、あちこちのゼネコンが倒産。その煽りを受ける形で、総和もかなりの負債を抱えて、大変な状況でした。

 

そんなある日、お父さんから『今週末に話があるから帰ってきてくれ』と連絡があり、実家へ戻りました。週末に帰ると家族会議が開かれ『もう会社を辞める』と切り出したんです。まぁ、良い話ではないと想像していたけど、まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったです。一瞬、言葉も出ませんでした。


家族会議の前には、もう社員の人たちには会社を閉じるということ話したそうです。会社を継ぐとか継がないとかいう以前にショックを受けたことを覚えています。

 

結局、周りの人たちに説得され、何度も話し合いを重ね、事業は継続することになりました。会社を続けることとなって一安心していたところに今度は、当時、働いていたメーカーの社長から呼び出されて、『今、会社は大変だけど、戻るなら今が一番良いと。大変な時期だけど、逆に今戻って方が良い』と言われたんです。

 

当時はビル建材しか扱っていなかったので、戻って住宅分野を一から開拓しろと言われたのを覚えています。大変だけど、今、戻ってガンバレと背中を押してくれました。

 

総和に入社後は、一年間はビル建材の仕事をやって、その後、住宅建材の事業を始めるべく開拓をしていきました。お客さんはゼロでしたので、とにかく必死に働きました。工務店、ビルダーの新規営業に回りました。

 

リスクを分散させるためにも、ビル建材100%から、住宅の比率を半々にしたいいう思いで動いていました。


その当時は、会社の経営状態が本当に悪かったので、できるだけ早く実績を出したいという思いで動いていましたが、今、考えてみると、当時は後ろ盾してくれる先代社長がいてくれたからこそ、営業活動ができていたのだと思います。

 

あの当時、ボクは毎晩、会社が倒産したらどうしようと考えていましたが、先代はそんなそぶりも見せませんでしたし、好きなようにやれと言ってくれたので、思い切りでききたんだと思います。もし、自分が代表であの時の状況だったら、おそらく同じようにはできなかったでしょう。

 

好きなようにやれと言ってくれたからこそ、当時は結果を早く出さないとという思いで動いていました。

 

協力してくれた協力業者さんがいたからこそ、今の総和があります。
総和が大変な状況の時、今までと変わらず販売してくれた業者さんもいれば、与信の問題もあって支払い条件を変えて欲しいと言ってくる業者さんもいました。どっちがいい悪いではないですが、やっぱり変わらず信頼してくれた業者さんに対しての感謝は常に忘れることはありません。

 

先代を筆頭に社員の頑張りに、そんな協力もあって、総和は立ち直ることができ、さあこれからという時に、先代が急に倒れて、その2日後に亡くなりました。実は亡くなる前月に当時抱えていた借金を完済して、周りの人たちにはホッとしたと言っていたみたいです。後から聞いた話です。もちろん、ボクにはそんな話はしませんでしたが。

 

今、生きていたらどうだったかな?そんなことをたまに考えたりすることもあります。

 

今日は以上です!!!