ペルーの文化を愛する窓屋の社長 高橋俊生

千葉県の習志野でお家やビルの窓を販売しています。(MADOショップ 習志野マラソン道路店) 住みやすいお家作りには窓選びも重要です。窓に関する事、趣味のことを書いていきます。(野球、高校サッカー、ペルー文化、トレーニング)

ボクがペルーをこよなく愛する理由!

こんばんは!

千葉県習志野市のサッシや総和の高橋です。

 

最近、『どうしてペルーの文化を愛する窓屋の社長なんですか?ペルーのどこが好きなんですか?』そんなことを何人かの人に聞かれたので、どうしてボクが南米ペルーが大好きなのか?そんなことを書いてみました。

ペルーを知るきっかけとなったのは、ペルー人の少年との出会いからです!

ペルーが大好きになったキッカケはペルー人の少年です。そのペルー人の名はFranco Higa Shimbo (フランコ ヒガ シンボー)。ペルーの首都、リマ在住の日系ペルー人です。

 

▼新婚旅行でペルーを訪れた時です!ヒガ・ファミリーです!

f:id:tscristal23:20200616234254j:image

日本から遠く離れたリマ在住の彼と出会うこととなったのは、29年前の1991年に彼が日本にホームスティに来たことから始まります。

 

僕の父親の知り合いがホストファミリーだったのですが、その家には同じ年頃の子供がいなかったんです。僕は当時、大学生で、フランコと年齢が近いということ、ホストファミリーのご近所だということで、日本を案内することになりました。
たまたま春休みということもあり、時間もあったし暇だったので(笑)じゃあということで、いろんなところに遊びに行きました。

 

遊んでいる間、とにかく全てにおいてフィーリングが合うことが多く、意気投合するようになりました。 文化が違う国に来ると一番困るのが食文化の違いや、味覚の違いなんですが、フランコ日本食に対し何でも美味しいと食べてくれて、食べ物に関してはまったく困らなかったです。唯一、イカの刺身だけは「チューインガムみたいだ」と言っていましたが(笑)

 

 ▼左がフランコです!郷ひろみに似ていると思いませんか?笑

f:id:tscristal23:20181011001455j:image

フランコは僕と一緒でサッカーが大好きで、さらには音楽の趣味もぴったり!当時、僕が聞いていた「TMネットワーク」「B’z」などを勧めたらすごく気に入ってくれて、そんなに気に入ったのならということでCDをあげました。自分が好きな音楽を気に入ってくれて、この時は、かなり嬉しかったのを覚えています。

 

サッカー談義も熱が入ります。お互いの国にはこんなスゴイ選手がいるんだと、話が始まると止まるところが見つからないほどでした。当時、カズ選手のことは、かなりビデオを見せてあげたりしてましたね。やっぱり、日本No. 1の選手だと思ったので。

 

約1ヶ月、フランコが日本滞在している間、お互いの文化、お互いの国のことをたくさん話しました。そしてペルーという国から来たフランコと一緒に行動するなかで、初めて外国、ペルーという国、そして英語でのコミュニケーションに興味を持つようになりました。あっ、ペルーの母国語はスペイン語ですがね(笑)

 

そして、フランコがペルーへ帰国する日。 彼は、『今度はペルーに遊びに来て』と言ってくれたんです。この時はまだペルーへ行くぞというよりも、もう一度フランコに会いたい!そう思ってました。

フランコというペルー人を通じて、ペルーに行ってみたくなった!

フランコが帰国した後も、当時は、今みたいにSNSもありませんでしたから、手紙でお互いの日常の事や趣味の音楽、スポーツの事などをやり取りしたり、たまに電話をするなどしてずっと交流が続きました。 
交流すればするほど、ペルーに行ってみたい!という気持ちが膨らんできます。翌年の1992年の春休みにペルーに行こうと計画をたて、その為に夜勤の警備のバイトをして旅の資金を稼ぎました。

でも、結局初めてのペルーへの旅費は父親が出してくれることとなって、成田空港から当時のVARIG(ブラジル航空)でアメリカのLA(ロス)経由でペルーの首都リマへ向かいました。

 ▼フランコ少年です!

f:id:tscristal23:20181011001713j:image

この初めての旅は贅沢な体験をさせてもらったんです。
というのも、父親が知り合いの旅行会社にチケットを頼んだのですが、その担当の方は僕の父親が行くと思ったらしく、ファーストクラスをとってしまったのです。もうビックリでした(笑)もちろん、父親もびっくり!そんな事があって最初で最後の贅沢な飛行機での旅でした(笑)

ペルーが近づくにつれて、窓から外をずっと見ていて、あの時のワクワク感といったらハンパなかったです(笑)成田空港から、日付変更線を越えて約22時間後の翌日の夜中にペルーの玄関口、首都リマにあるホルヘチャベス国際空港に到着しました。

 

初めてのペルーでの強烈なアクシデント!笑

 

初めてのペルーでフランコと一年ぶりの再会。もう嬉しくて、嬉しくて最高でした。これから約2週間、ペルーでの生活が始まるけど、特に不安もなく、楽しみしかなかったた、そんな感じでしたね。

 

 ▼南米らしいワンショット!笑

f:id:tscristal23:20181011005720j:image

ペルーの食生活はどうかなと少し不安もあったけど、フランコ日系人の家族ということもあり、食べ物に関しては、ほぼ問題ありませんでした。日本のお米とは違ったタイプですが、主食はお米。ペルー料理によく合うのと、比較的日本のお米に近いせいか、すぐ馴染めました。
思っていた以上に食事が自分の口にあったので、調子に乗って食べていたら、ペルー滞在2日目にして腹を壊して、夜通しベットとトイレを往き来する羽目になってしまったんです(笑)

ペルーのトイレは、トイレットペーパーを日本みたいに便器に流せないんです。便器の横に置いてある専用の容器にいれないといけないんですよね。なのにそれを知らなくて、トイレにいくたびにトイレットペーパーを捨てていたら便器詰まってしまい、流れなくなって…腹は痛いし、流れないしで、1階のトイレを使っていたけど使えなくなってしまったから、今度は2階のトイレへの往復を繰り返していました。今でこそ、笑えますけど、その時は、もう最悪でしたね(笑)

 

そんなこんなしていたら、鳥の鳴き声がして…気がついたら朝。その後は疲れが出たのか熱も出てしまい、完全にダウン状態だったんです。
フランコのお父さん、お母さんが心配してくれて、病院の先生に診てもらった方が良いということで、同じ地区のお医者さんに連れて行ってくれました。

 

そのお医者さんはドクトル サトーという、日系人のお医者さんでした。日本語で会話ができたので、症状を伝えるのもとてもスムーズで、診てもらって、薬を飲んだらすぐに回復しました! 海外で具合が悪くなったときのリスクは症状を的確に伝えられないことがあるのですが、 日本語を話せたことで、的確に伝えられ、リラックスできたのもあって回復につながったのだと思います。言葉が通じることが、こんなにもリラックスさせるんだなと、この時に痛感しました。こんな状況もあってなのか、みんなの優しさにとても感動しました。そして、ペルーの人々の暖かさに触れて、ペルーという国、文化が大好きになったんです。

 

ペルーでお世話になったから家族には恩返しをしたい!

 

あれから29年経ちました。
その間に僕は8回ペルーに行っています。8回も行って飽きないのか?(笑)そんなことを聞かれますが、行くたびに新たな発見があったんですよね。だから、飽きることはないですね。

 

初めてペルーへ行った時には、国内情勢がすごく不安定で治安もすごく悪かったです。そんなところからスタートして、年々、ペルーという国が発展する過程を見れて、素晴らしい経験をさせてもらったと思っています。 

 

毎回、宿泊させてもらったのは、ペルーの友人、フランコの家です。フランコは6人兄弟なのですが、一人の弟は不慮の事故で亡くなってしまっていて、一人の妹はカナダに嫁に行ってしまって、現在は4人の兄弟と両親はペルーの首都リマで生活をしています。

 

▼この当時はワーゲンなどかなり古い車ばかり!

f:id:tscristal23:20181011010132j:image

僕は毎回とてもお世話になっていて、何事にも変えがたい経験をさせてくれたフランコ家族を全員日本に招待したいと思っています。今までに、フランコ含めて兄弟4人を日本に招待することができました。

残るはお父さん、お母さんです。本当は今年日本に招待したいと思っていたのですが、新型コロナウイルスの影響でそれも断念せざるを得ない状況です。でも、これは近年中に必ず実現させたいと思ってます。

 

ボクがどうしてペルーが好きか?わかってもらえたでしょうか?少しでもペルーという国に興味を持ってもらえたら嬉しいです。

 

今日は以上です!